お父さんの夏休み〈9〉

お父さんの夏休み
強風と満天の星空で迎えた 坊津の初夜

 やることはたくさんあった。テントの設営場所・係留場所の確保、夕食の食材調達、給油、天候と釣り場の情報収集。まずは、スタンドが閉まる前に給油を行わなければいけないので、事前に漁協で教えてもらっていた番号に連絡を入れた。
 岸壁に上がって、給油の車を待つ。

「どっからきたのぉ」
 振り返ると70歳過ぎの、いかにも漁師風のおじいさん。語尾が上がるのが鹿児島弁の特徴で、何やらかわいい。
「熊本です」
「熊本ぉ? この船でぇ」
「そうです」
「今日は波があったじゃろ。(ヒコーキを見て)釣れたか?」
「いいえ、全然。一応、カツオを狙ったんですけど」
「ハハハ、もうカツオはおらん。終わった」
「終わった?」
「6月くらいまでなら、この港のすぐ目の前でよう釣れとったけどナ。今はだいぶ沖に出らんと釣れん。牛深あたりまでいけば釣れると思うけどナ」
「……」
 牛深は天草の最南端、我々の地元。この日、スタート直後に通ってきた場所である。
「まあ、わしは今日、この前で1キロちょっとくらいのを2本釣ったけどナ」
「いるんじゃないですか」
「ようけはおらんちゅうこっちゃ」

 その後、このおじいさんからしつこく釣り場の情報を聞き出した。
「でも、明日は船出せんゾ。台風が来よる」
 背後の山から強い風が港の中にも吹き込み始めていた。早くも「ピンチ!」である。
 給油は70�P。25�Pの携行缶でほぼ3本の消費である。走航距離83マイル(154キロ)。エンジン稼動時間が6時間半。巡航前後での走航が約3時間、18ノット前後で約2時間半、トローリングスピードで約1時間というような内容だ。「携行缶 1本で2時間」の目安は、まず間違いないようだ。
 食べ物を売っているような店は泊港の方にしかないという事で、おじいさんにお礼を言って坊の港を出る。向山の岬を回り込む際、さらに風が上がっているのを再確認。しかし、風は強いものの青空は広がっていて、惚れ惚れするような夕焼けが始まろうとしていた。

 結局、買い出しは失敗。スーパーのような店がないのである。仕方なく雑貨屋でレトルトカレーとアイスクリーム、インスタント味噌汁を仕入れて、キャンプサイトへ。  テントを張る場所は、坊の港に入港する際に見つけておいた海水浴場。周囲を山に囲まれた、船でしか行けない自然のままのビーチだ。
 浜には海水浴客(港から船で送迎してくれるそうだ)のためにビニールシートで三角屋根が作ってあったので、その下にテントを張る事にした。

  ラジオで聞いた天気予報によると、夜半に雨が降るのは間違いなさそうで、その点2重の屋根があれば随分と違うはずだ。もちろん、こんな日に、こんな場所でキャンプしようなんて人はいない。我々の独占状態である。1日かぎりのプライベートビーチである。
 ビーチングしてキャンプ道具を下ろし、テントを設営すると時間は7時を回り、周囲もすっかり暗くなってしまった。ランタンに灯りを入れ、海水で米を洗い、レトルトのカレーを温めた。砂浜に座り込んで、少し塩辛いカレーにありつけたのは8時過ぎになっていた。風は強いが、頭の上には満天の星空。そして、砂を洗う波の音。
「キャンプサイトとしては最高ですね」
「星も凄い」
「僕達、どうなるんでしょうね」
「……」
「ここはいい場所だけど、台風の中で何日もというわけにはいかんでしょう」
「長期足止めということになれば、枕崎まで行っておいた方がいいでしょうね」
 予報では翌日の午後から海は荒れ出すという事だった。できるだけ早い時間に海の状況を確認した上で、枕崎まで移動しようという結論に達した。そうと決まれば、寝るに限る。
 こうして九州一周初日の夜はカツオのタタキも薩摩焼酎もないままに更けていったのである。
(つづく)

第一日目は目標通 り、鹿児島県の坊津港へ無事入港。とても美しく、静かな港だった
カツオ情報をくれたおじいさん。今は現役を退き、趣味で魚を釣っているという事
給油をしてくれるスタンドは、あらかじめ漁協に聞いておいた。消費燃料は6時間半走って70リッター
坊津沖から見た東シナ海に沈む夕陽は絶景だった。ここから太陽を追い掛けていくと、中国大陸にたどり着く
野坊の港の南にある海水浴場。ここが初日のキャンプサイトとなった。もちろん貸切。船でしかいけないビーチだという点もいい
海水浴場の前にビーチング。ちょうど12時間後に出港を予定していたので、係船位 置に悩む事もなかった
悲壮感のただよう食事準備風景。この日のメニューはレトルトカレーと味噌汁。晩酌を欠かした事のない私が酒なしで寝てしまった

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